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私が開院した理由

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治療家になろうと思った理由、それは…

院長:小林

学生時代にサッカーで膝の痛みに苦しんだ経験から、痛みに苦しむ人をサポートしたい、人の役に立つ仕事がしたいと強く感じたからです。

会社員時代

大学卒業後、食品メーカーに就職しました。慣れない販売や営業職のノルマをこなしていくことに必死に食らいついていく日々でした。先輩の助けや同期との励まし合いなどで、仕事にも慣れていくことが出来ました。

まだまだ半人前でしたが、ノルマや仕事のコツを掴んで来た頃でした。

目標を失う

食品メーカーに主食を決めた理由の1つに、健康産業事業の進出する可能性があると入社前にきいていたからです。学生時代からサッカーを始め、様々なスポーツに打ち込んできました。その時に学んだ体や栄養などに関する知識を活かすことが出来る会社が理想的だな~と思っていましたが・・・

バブル崩壊により、すべてが白紙となりました。

廃人のような日々

健康産業の事業展開がなくなった状態でも、日々の仕事は責任を持って遂行していました。販売や営業の仕事を2年が経った頃には、あまり考えることなくルーティーンのように仕事をしている自分に気が付きました。

そんな状態ですから、仕事に情熱を持っていますとはとても言えません。むしろ楽することばかり考えるようになり、やる気もドンドンなくなっていきました。

自分が持っている強みはなんだろう?と考える日々を悶々と送っていましたが、とある日に高田馬場駅のホームから見た看板の中に医療系専門学校の看板を見つけました。

覚悟を決める

学生時代から捻挫をするたびに整骨院や鍼灸で治療していただいてました。整骨院の院長からはやる気があるなら専門学校紹介するよと言われていましたが、その当時は全く興味がありませんでしたが、駅で看板を見た時に学生の時のやり取りを思い出しました。

看板を見たその足で専門学校まで出向き、願書をいただき試験を受ける手続き、そして無事試験をクリアとなりました。

専門学校での学び

94年春会社を退職、専門学校に入学しました。その当時は治療家になるというよりJリーグのトレーナーになりたいと思って学び続けていました。

専門学校では、基礎医学と様々な整体術に触れることが出来ました。学費を稼ぐために専門学校から紹介して頂いた東京女子医科大学病院に週6でアルバイトをしていました。てっきり整形外科で働けるのかと思い込んでいたのですが、配属されたのは呼吸器内科・内分泌内科の処置室でした。

トレーナー志望から治療家志望へ

東京女子医大で2年アルバイトとしてお世話になりましたが、そこでは主に高齢の患者さんが来ていました。ここで点滴をされる方がいらっしゃるのですが、ある患者さんが喉が渇いたらしく水が欲しいと訴えていました。看護師さん達は忙しく手が回らない状況でしたので、私が紙コップに水を入れて持って行ったら、患者さんから「お兄さんがくれた水美味しかった。ありがとう」と言われました。

この時に言われた言葉がとても嬉しく心に刺さり、世間一般で困っている人達が喜んでもらえることが出来れば素晴らしいと考え、この時から治療家志望に変わりました。

理想と現実

専門学校を卒業して整骨院で働き始めて感じたのは、専門学校で学んだことは院の方針もあり全く出来なかったこと。来院人数が非常に多い整骨院でしたので、1人に携われる時間はマッサージで5分以内という現実。この方針がどうしても受け入れられず、他を探すことにしました。

それから様々な先生にお目にかかりましたが、成城でカイロプラクティック院と整骨院を構えていた故佐々木先生に出会いちょうどスタッフ募集している時期とも重なり、運良くお世話になる事になりました。今現在も整体師として活動出来ているのは、佐々木先生のお陰と言っても過言ではありません。

がむしゃらに学んだ日々

佐々木先生のところでお世話になることで大きく変わったのは待遇面もありますが、私自身のモチベーションが上がり積極的に学び臨床経験を積ませていただいた事です。分からない事などを頻繁に質問もしてアドバイスもいただけた日々は、本当に良い思い出です。

ちなみに佐々木先生の院で患者さんに携わることが出来る時間は15分でした。前の整骨院の3倍以上あるんだと心に余裕があったのは初めだけでした。様々な要求をされる患者さんに応対するためには、教えられた事以外にも工夫したり技術を学ばなければいけないと痛感しました。

頑張りすぎた結果・・・

整骨院の分院があったのですが経営状態が傾いていた院があり、院長代理として私が責任者として任されました。最初の3ヶ月業績は回復しませんでしたが、4ヶ月目から徐々に改善傾向が見え始めました。

実は5ヶ月でノルマが達成出来なければ院の閉鎖を言い渡されていました。スタッフを守るためにも必死でしたが、全員の頑張りで業績も改善、臨床改善実績も上げることが出来ました。

秋を迎える頃には他の院からも学びに来るようになり良い状態になりましたが、これまで頑張り続けた結果、心と体が言うことを聞いてくれない状態となりました。いわゆる燃え尽き症候群になったわけです。

心の病になって気付いたこと

当時は燃え尽き症候群と逆流性食道炎にもなっていましたが、ギックリ腰や疲労性の腰痛のように、すぐに回復していくことはありません。師匠に週1回は半年以上は治療していただきましたが、なかなか改善していきません。

この頃から独自で自律神経のことを学ぶようになりました。今では当たり前に聞かれるトラウマや腰痛は怒りだ!とか、心と体の繋がりなどを学ぶうちに、少しずつではありますが回復していきました。この学びにより、腰痛以外の症状にも大きく役に立ち結果も出すことに繋がりました。

独立開業という目標

私が専門学校を卒業し修行の道を選んだ理由は、治せる技術を身につけることが目的です。カイロプラクティックの範疇領域の症状はすべて治せなければ独立しても通用しないと思い込んでいました。

約7年間師匠の元でお世話になりましたが、なにせ居心地が私にとっては良すぎました。甘えが生じているかもしれないと考えた私は師匠の治療院を卒業し、他のところで数年働いてから開業しようと考えていましたが・・・

その後20件近く整骨院や治療院を見たことで感じたのは、師匠の元で働いている先生達の方が技術的にもマナーなどでも優れていること。この現実を見て考えが変わりました。他の現状を見て、これだったら自分の力を試してみたいと考え開業準備を急ぎました。

独立開業してから

2003年秋に開業届を提出して、現在のこばやし整体院・ひばりヶ丘院として日々の施術活動を始めましたが、最初は閑古鳥が鳴いている状態。食べていける状態になるまでは、約半年掛かりました。

その後も順風満帆だったわけではなく、正直良くここまでやってこられたなと思うほどの状態に陥ったこともありました。ただ運が良いと言うか、ありがたいなと感じるのは、ピンチの時に誰かが助けてくれたことでした。ご縁は奇跡の出会い。そう感じずにはいられません。

また私が過去に患った燃え尽き症候群など自律神経のことを専門で学ぶセミナーにも参加するようになり、歪みを正す方法以外も会得するようになりました。

初心を忘れない

開業してからは患者さんに育ててもらいました。いろんなタイプの方とご縁がありましたが、すべてが上手く行ったわけではありません。私に足りないところや成長したことなどがダイレクトに返って来ます。

またセミナーでお世話になった先生方とは、今でも良い関係性を築けているのはありがたい限りです。1人では考えつかなかったことが、複数人集まると面白い発想やアイデアが出てきます。

経験を積んでいくと分かっているつもり、出来ているつもりになっているのが一番怖いと思っています。基本を忘れず謙虚に白帯の精神でこれからも精進に励んでいきたいと思います。


院長:小林

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